若年発症肺腺がんの一部にBRCA2やTP53遺伝子の遺伝的要因が関与することを解明 日本人の若年発症肺腺がんを対象とした初の大規模ゲノム解析の成果
国立研究開発法人国立がん研究センター(東京都中央区、理事長:間野博行)、研究所 ゲノム生物学研究分野 白石航也ユニット長、河野隆志分野長、張萌琳外来研究員らは、全国8施設からなる研究コンソーシアムを構築し、日本人の肺腺がんについて大規模に解析し、若年(40歳以下)で発症する肺腺がんの原因を調べました。
本研究において肺腺がんの若年発症例と非若年発症例を比較した結果、若年発症例ではTP53遺伝子、BRCA2遺伝子に生まれつき変異している生殖細胞系列病的バリアント注1が多くみられることが明らかとなりました。また、BRCA2遺伝子のバリアントを有する肺腺がん症例では、乳がんや卵巣がんなどでみられる相同組み換え修復機構注2が破綻している特徴が観察されました。これにより、既存の分子標的薬(PARP阻害剤)が有効である可能性が示唆されました。さらに、DNA修復に関わるALKBH2遺伝子の生殖細胞系列病的バリアントが、若年発症肺腺がんの原因の一部となることが示唆されました。
40歳以下で発症する肺腺がんは、進行期で発見される場合が多く、予後も不良であることが知られています。今後、遺伝性腫瘍の患者さんが抱える課題等を共有し、遺伝医学の知見を踏まえた新しいがん医療を築く必要性が、本研究により示されました。
本研究成果は、2025年6月15日(米国東部時間)付で、国際学術誌「Journal of Thoracic Oncology」にオンライン掲載されました。
(注1) 生殖細胞系列病的バリアント
生まれつき持っている遺伝子の中に生じている、病気の原因となる変化(変異)を「生殖細胞系列病的バリアント」といいます。この変化は親から子へ受け継がれる可能性があり、がんなどの病気にかかりやすい体質の原因となる遺伝的要因があります。今回の研究では、生殖細胞系列病的バリアントが若くして肺腺がんを発症する原因の一つであることが分かりました。
(注2) 相同組み換え修復機構
DNAに傷が付いたときに正確に元通りに直す仕組みの1つで、DNAの両方の鎖が切れる「二本鎖切断」を修復します。正常なDNAを手本にして、壊れたDNAを正確に修復します。この仕組みがうまく働かないと、DNAに多くの異常が蓄積し、がんの原因になります。
発表のポイント
- 日本人の肺腺がん1,773症例で全ゲノム・全エクソームシークエンス解析を行い、若年発症例(40歳以下)での特徴を調べました。
- 解析の結果、若年発症例では非若年発症例と比較してBRCA2やTP53遺伝子の生殖細胞系列病的バリアント(生まれつき持っている遺伝子の変化)の頻度が高いことが明らかとなりました。
- BRCA2遺伝子の病的バリアントを有する症例の腫瘍では、切断されたDNA鎖を正確に修復するための相同組み換え修復機構が破綻しており、既存の分子標的薬(PARP阻害剤)が有効である可能性が示唆されました。
- また、ALKBH2遺伝子の生殖細胞系列病的バリアントが、若年発症肺腺がん症例の新たなリスク因子として同定されました。
- 今後、遺伝性腫瘍の患者さんが抱える課題等を共有し、遺伝医学の知見を踏まえた新しいがん医療を築く必要性が、本研究により示されました。
背景
肺がんは日本において年間罹患者数は12万人を超え(全がん種で第2位,2020年)、死亡数は年間7万5千人以上(全がん種で第1位,2023年)と、罹患率・死亡率の観点から重要性の高いがん種です(がん情報サービス)。肺がんは一般的に喫煙などの環境要因が発がんに強く関連することが知られています。一方で、肺がんのなかで最も頻度が高い肺腺がんは、非喫煙者が約半数を占め、喫煙以外の危険因子の存在が疑われていますが、遺伝的要因との関連性については、欧米、アジアを問わず、これまでエビデンスがほとんどありませんでした。
さらに、もう一つの課題として、40歳以下で肺腺がんを発症する若年発症例は、肺がん患者全体の1%未満と稀ではありますが(図1)、進行期で発見される場合が多く、予後不良であることが知られています。私たちは、全国8施設からなる研究コンソーシアムを構築し、これまで日本人の肺腺がんを引き起こす遺伝要因について明らかにしてきました(参考論文1,2)。今回の研究では、若年発症に着目し、生殖細胞系列病的バリアントの解析を行うことで、肺腺がんにおける遺伝要因の関与を調べました。

研究方法
日本人の肺腺がんについて、血液DNAを対象に全ゲノム・全エクソームシークエンス解析注3を行い、若年発症例と非若年発症例での生殖細胞系列病的バリアントを比較しました。また、一部の症例については、がん組織のDNAを解析し、体細胞変異の頻度や相同組み換え修復機構の破綻を調べました。
さらに、肺腺がん症例と非がん症例の血液DNAを用いてゲノム解析を行い、新たな生殖細胞系列病的バリアントを探索・同定しました。
(注3) 全ゲノム・全エクソームシークエンス
次世代シークエンサーと呼ばれる高速の塩基読み取り装置を用いて、ヒトの血液やがん細胞の持つゲノムDNAの配列を読み取る解析手法。全ゲノムシークエンスではゲノムを構成するDNAの塩基配列をすべて解析し、全エクソームシークエンスでは、タンパク質の設計図となる重要な部分(エクソン)だけを調べます。
研究結果
1. 若年発症肺腺がんの発生に関わる既知遺伝子の生殖細胞系列病的バリアントを同定
1,773例の肺腺がんについて、40歳以下の若年発症例(348名)と41歳以上の非若年発症例(1,425名)の血液DNAを比較した結果、若年発症例ではTP53遺伝子とBRCA2遺伝子の生殖細胞系列病的バリアント陽性症例が多く、TP53遺伝子では非若年発症例が0.14%であるのに対し、若年発症例では2.9%、BRCA2遺伝子では非若年発症例が0.21%であるのに対し、若年発症例では1.7%でした(図2)。TP53遺伝子は幼少期から様々ながんを発症するリー・フラウメニ症候群注4、BRCA2遺伝子は遺伝性乳がん卵巣がん注5の原因遺伝子として知られていますが、若年発症肺腺がんの要因でもあることが示唆されました。
(注4) リー・フラウメニ症候群
TP53遺伝子の生殖細胞系列病的バリアントを生まれつき有することによって、子どもから大人まで、様々な種類のがんを発症しやすくなる疾患です。このため定期的な精密検査を行い、がんを早期に発見するサーベイランスが勧められます。リー・フラウメニ症候群では、がん治療に放射線治療を用いると、2次がんのリスクが高くなります。そのため、放射線治療以外の外科的手術や抗がん剤による治療が推奨されます。
※引用元:https://jsht-info.jp/general_public/abouts/li-fraumeni/ (日本遺伝性腫瘍学会)
(注5) 遺伝性乳がん卵巣がん
遺伝性乳がん卵巣がん(Hereditary Breast and Ovarian Cancer:HBOC)は、BRCA1またはBRCA2という遺伝子の生殖細胞系列病的バリアントを生まれつき有することによって、一般の人より高頻度に乳がんや卵巣がんが発症しやすくなる遺伝性の疾患です。HBOCでは、発症したがんに特異的に効果が期待できる薬(PARP阻害剤)があり、再発時の治療や再発予防などに用いられます。
※引用元:https://jsht-info.jp/general_public/abouts/hboc/ (日本遺伝性腫瘍学会)
図2.肺腺がん患者で検出された生殖細胞系列病的バリアント
2. BRCA2遺伝子の病的バリアントを有する肺腺がんの特徴
生殖細胞系列病的バリアントを有する症例(14例)に発生した肺腺がんの体細胞変異(後天的に生じる遺伝子変異)注6の特徴を調べました(図3)。その結果、BRCA2遺伝子の病的バリアントを有する肺腺がんの腫瘍組織でも、乳がん、卵巣がんなどでみられるような相同組み換え修復機構の破綻が3例中2例で観察されました。BRCA2遺伝子の変異を持つ乳がんや卵巣がんに対してはDNA修復経路を標的とするPARP阻害剤注7による治療が有効であることが分かっており、本研究結果はBRCA2遺伝子の病的バリアントを有する肺腺がんでもPARP阻害剤が有効である可能性を示唆しています。
(注6) 体細胞変異
後天的に細胞に起きる遺伝子の変化を「体細胞変異」といいます。タバコや紫外線、体内のDNA修復のエラーなどが原因で起こり、がんなどの病気の原因になります。体細胞変異は親から受け継ぐものではなく、自分の体の中で後から起こる変異です。
(注7) PARP(パープ)阻害剤
DNAの修復に関わるタンパク質であるPARP(ポリアデノシン5'二リン酸リボースポリメラーゼ)の働きを阻害することで、がん細胞の増殖を抑制する分子標的薬です。特に、BRCA1、BRCA2遺伝子の変異を持つがんに対して有効であることが知られています。
図3. 生殖細胞系列病的バリアントを有する症例の腫瘍でみられる体細胞遺伝子変化
3. 若年発症肺腺がん症例の腫瘍組織におけるドライバーがん遺伝子変異
肺腺がんの若年発症例(57例)と非若年発症例(1,280例)の腫瘍組織を用いて全エクソンシークエンス解析を行った結果、がん細胞に生じているドライバーがん遺伝子注8変異の分布は、二群間で大きく異なっていました(図4)。若年発症例では、分子標的治療の効果の高いALK融合遺伝子やRET融合遺伝子の陽性例が多く存在しました。
(注8)ドライバーがん遺伝子
がんの発生および進展に直接寄与する体細胞変異を言います。ドライバーがん遺伝子変異があるとがん細胞は恒常的にシグナル伝達が活性化するため、シグナルを阻害する分子標的薬は従来の殺細胞性抗がん剤よりも特異的かつ高い殺細胞性を示すことが知られています。そのため最適な治療を提供するためには、ドライバーがん遺伝子変異の検出は重要と考えられています。
図4.肺腺がん組織におけるドライバーがん遺伝子変異の頻度
4. 肺腺がんの若年発症に関わる新たなリスク遺伝子を同定
肺腺がんの若年発症例における生殖細胞系列病的バリアントを調べるため、肺がん症例(10,302名)と非がん症例(7,898名)を対象に遺伝性腫瘍やDNA修復メカニズムに関連する450個の遺伝子を解析する症例対照研究を行った結果、DNA修復に関わる遺伝子ALKBH2の機能欠失型バリアント注9が、肺腺がんの若年発症リスク(オッズ比=2.26)となることが示されました。
(注9) 機能欠失型バリアント
遺伝子のDNA配列に変化が生じることで、遺伝子の機能が正常に働かなくなるような遺伝子の変化 (バリアント) を指します。その結果、タンパク質を生成する遺伝子の機能が損なわれ、生成されるタンパク質の構造や機能が変化したり、タンパク質がまったく生成されなくなったりすることで、本来必要なタンパク質がうまく生成されず、病気の発症につながることがあります。
論文情報
雑誌名: Journal of Thoracic Oncology
タイトル: Genomic profiles of pathogenic and moderate-penetrance germline variants associated
with risk of early-onset lung adenocarcinoma
著者: Hourin Cho, Kouya Shiraishi (責任著者), Kuniko Sunami, Yukihide Momozawa, Tatsuya
Yoshida, Shingo Matsumoto, Koichi Matsuda, Motonobu Saito, Akiteru Goto, Takayuki
Honda, Akifumi Mochizuki, Masahiro Torasawa, Yataro Daigo, Kimihiro Shimizu, Hideo
Kunitoh, Yukihiro Yoshida, Makoto Hirata, Yoko Shimada, Michiko Ueki, Hanako Ono,
Masahiro Gotoh, Yukiko Shimoda Igawa, Akiko Tateishi, Yoh Yamaguchi, Ryoko Inaba
Higashiyama, Erika Machida, Motoki Iwasaki, Yosuke Kawai, Hiroyuki Yasuda, Junko
Hamamoto, Issei Imoto, Hirokazu Matsushita, Sadaaki Takata, Tomomi Aoi, Syuzo
Kaneko, Aya Kuchiba, , Akihiko Shimomura, Maki Fukami, Kotaro Hattori, Kouichi Ozaki,
Yoshihiro Asano, NCBN Controls WGS Consortium, Biobank Japan Project, Atsushi
Takano, Masashi Kobayashi, Yohei Miyagi, Kazumi Tanaka, Hiroyuki Suzuki, Takumi
Yamaura, , Teruhiko Yoshida, Yasushi Goto, Hidehito Horinouchi, Yasunari Miyazaki,
Hidemi Ito, Haruhiko Nakayama, Toshiteru Nagashima, Yoichi Ohtaki, Kazuhiro Imai,
Yoshihiro Minamiya, Kenichi Okubo, Johji Inazawa, Yuichi Shiraishi, Katsushi Tokunaga,
Yoichiro Kamatani, Yasushi Yatabe, Koichi Goto, Masahiro Tsuboi, Shun-ichi Watanabe,
Yuichiro Ohe, Yoshinori Murakami, Keitaro Matsuo, Ryuji Hamamoto, Takahshi Kohno
DOI: 10.1016/j.jtho.2025.06.005
掲載日: 2025年6月15日
URL: https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1556086425007646
参考論文
1 Shiraishi K, Okada Y, Takahashi A, et al. Association of variations in HLA class II and other loci with susceptibility to EGFR-mutated lung adenocarcinoma. Nat Commun. 2016; 7:12451.
2 Shiraishi K, Takahashi A, Momozawa Y, et al. Identification of telomere maintenance gene variations related to lung adenocarcinoma risk by genome-wide association and whole genome sequencing analyses. Cancer Commun (Lond). 2024; 44(2):287-293.
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