ある患者のストーリー

娘には、耳から顎にかけての奇形があります。下顎がとても小さく、口はほとんど開きません。そのため、呼吸と食べること、さらに、音を作ってしゃべることが難しく、気管切開によって呼吸を確保し、胃ろうによって胃に直接栄養を入れています。
現在、2歳3カ月。手話やジェスチャーで自分の思いを伝えてくれます。近所のお友達と公園で走り回り、ブランコやジャングルジムが大好きなやんちゃな女の子です。


生まれる前のこと
2013年8月★日、40週0日予定日に娘は誕生しました。
誕生のその瞬間まで普通の子が生まれると信じていました。お腹の中の赤ちゃんに会えることを楽しみに分娩に臨み、普通分娩で順調に出産しました。

しかし、出てきたのは、泣くことも、呼吸もできず、顔の形も普通ではない赤ちゃんでした。

お腹の中にいる時は、臍の尾から酸素が供給されるため、異常がわかりませんでした。
偶然、出産したのが総合病院であり、産科病棟の上の階がNICUを併設する小児科病棟でした。
すぐに小児科医や看護師さんがたくさんきてくれて、臍の尾が引っ張り出される私の隣で、娘の救命処置が始まりました。

娘は、上気道閉塞(下顎の後退、舌根沈下、開口困難)といって鼻や口からの空気の通り道がほとんどない状態でした。よって、気管内挿管による気道確保が難しく、命を救うため、生後2時間で気管切開の手術を受けました。
一刻一秒を争う事態だったので、気管切開の手術を受けるか否かについて、夫をはじめ、誰かに相談する時間の余裕はありませんでした。

私は、何が起こったのか、どうしたらいいのか、よくわかりませんでした。
そもそも気管切開が何かも知りませんでした。
頭も気持ちも混乱し、説明を聞いても理解できませんでした。
だけど、“絶対に助ける”という医師の必死な思いが伝わってきて、迷う間もなく「よろしくお願いします」と言ったことを覚えています。


気管切開してから
次に会った娘は、いろんな管がつけられ、気管切開をし、人工呼吸器とつながった保育器の中にいる姿でした。すやすやと穏やかに眠っていました。どす黒かった肌も人間らしい色になっていました。
その後3週間で人工呼吸器がとれました。少しずつ管がとれて娘の体は身軽になっていきました。

気管切開をしながらうつ伏せはできるのか?

寝返りをしてカニューレが抜けてしまったらどうしよう。

自分で引っ張ったらどうしよう。

気管切開の穴に圧がかかって、穴がどうにかなってしまわないか?

常にいろんな不安がありましたが、そんな不安をよそに、1つずつできることが増えていきました。
約半年の入院を経て、娘は家に帰ってきました。


家での生活
退院後の半年間、0歳のうちは、首を反っただけでカニューレが抜けました。
多い時で月3回のカニューレ抜去がありました。
その際、すぐに対応すれば大事に至らないけど1分、2分と気付かないと、死が一気に近づきます。

「もう死んじゃう」と思った瞬間が何度もありました。救急搬送や意識障害での入院もありました。「カニューレが抜けたら」と考えると恐怖で、目が離せず、トイレにも行けず、夜は電気をつけたまま眠りにつき、夜中に何度も起きて娘が息をしているかを確認しました。

さらに、声が出ない娘は、私を呼びたい時や注意引きの手段として、また、苛々した時の感情表現としてカニューレをたびたび引っ張りました。

私は常に緊張した状態で、体も心も休まらない生活でした。

すると、今度は自分が倒れました。でもこれを機に、私一人で抱え込むのではなく、よりたくさんの方に娘のことを知ってもらい、みんなに助けてもらいながら生きていきたい、と思うようになりました。


家から社会へ
1歳を過ぎ、とりわけ歩行が安定するに伴い、カニューレ抜去はなくなりました。
娘自身も気管切開部分が大事だとわかるようになりました。
また、吸引についても、当初は、毎日何度も何度も嫌がり暴れる娘を無理やり抑えつけて吸引する必要があり、それが親として大変苦しかったです。

娘に何か心理的な弊害を与えてしまうのではないかと、と不安にもなりました。
しかし、娘は徐々に、吸引が自分に必要なことであることを理解し、苦しくなると自分から吸引を求めてくるようになりました。
現在では、自分で吸引器のスイッチを入れて、吸引をしようとします(もちろん上手にはできません)。
さらに、自分で排痰できるようになり、外出時に吸引器を持ち歩く必要もなくなりました。
気管切開のある娘との生活にも慣れ、私が危険を感じることはほとんどなくなりました。

そんな中、難聴のある娘に難聴児の教育を受けさせてあげたい、ゆくゆくはろう学校の幼稚部に入りたい、娘にお友達をつくってあげたい、娘を預けて私も仕事を再開したい、そう思って、様々なところに問い合わせをしました。
すると、あらゆるところに「安全の確保のため」「看護師がいないから」という理由でお断りされました。

娘は気管切開によって命が救われました。
医師が必死で救命してくれるその隣で、私は、思い描いていた未来が音を立てて崩れ、将来を悲観し、マイナスの気持ちでいっぱいでした。

娘にとって気管切開がいいことなのかもわかりませんでした。
しかし、今、元気いっぱいに、泣いたり笑ったりして過ごす娘との日々の生活において、気管切開は私たち家族にとって全く特別なことではありません。

生まれた日から気管切開をしている娘にとっても、気管切開はごく自然なものだと思います。
そして、私はたくさんの困難を乗り越えてきた娘を大変誇らしく思っています。
一方、そんな娘と一緒に外に向かうと、命のための気管切開が、「子どもの安全性」という言葉によって、社会に出る時の足かせになります。

子どもは命を続けるためだけに生きている訳ではありません。気管切開があっても、社会の中で、子どもの可能性を少しでも伸ばしてあげられるような教育や環境を与えてあげたいです。
気管切開をしている子も、地域のみんなと一緒に生きていけることが当たり前の社会になってほしいです。